歴史・文化

History and Culture

北海道唯一の城下町、松前町

北海道最南端に位置する松前町は、江戸時代に最北の城下町として栄え、現在も松前城をはじめとした当時の面影を感じる史跡が多く残っています。北海道唯一の城下町松前で、風情あふれる街並みや松前神楽などの伝統文化にふれてみませんか。

最後の日本式城郭、北海道遺産「松前城と寺町」

松前のシンボル、松前城。春の桜と城のコントラストは圧巻。
北海道遺産「松前城と寺町」

江戸時代に最北の城下町として栄えた歴史を持つ松前町。町には今でも松前城をはじめとした、数々の史跡が残っています。江戸時代末期に築城された松前城とその北側に広がる寺町は、明治以前の北海道の歴史を物語る文化財として、2004年に「福山城(松前城)と寺町」として北海道遺産に選定されました。

松前城の歴史
築城

江戸時代末期の1849(嘉永2)年、蝦夷地近海に出没する外国船に脅威を感じた幕府は、13代藩主・松前崇廣(たかひろ)に要害を固めるよう、特旨をもって築城を命じました。
新城の設計は三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学が行い、5年後の1854(安政元)年に竣工。新城は福山城と呼ばれ、日本最北に位置する、最後の日本式城郭となりました。

箱館戦争

1868(慶応4/明治元)年に勃発した戊辰戦争では、元新選組副長・土方歳三率いる旧幕府軍が福山城へ向けて攻撃。松前藩は防戦したものの落城し、敗走。現在も残っている本丸御門の石垣には弾痕もあり、戦闘の激しさをうかがい知れます。

天守焼失~現在

福山城は1875(明治8)年までに開拓使の命によって取り壊しとなりましたが、その際残された三層の木造天守と本丸御門、東塀は1941(昭和16)年、国宝に指定されました。しかし戦後の1949(昭和24)年6月5日未明、松前町役場から出火した飛び火により天守と東塀が焼失してしまいました。
その後、天守再建期成会により全道的な再建運動が展開され、昭和35年に鉄筋コンクリート製の復興天守が完成。現在は親しみを込めて「松前城」と呼ばれ、復興天守は松前城資料館としてオープンしています。

本丸御門と復興天守
道内唯一の寺町

松前城の北側には「松前桜三大名木」と呼ばれる桜を鑑賞できる龍雲院、光善寺などの5つの寺や、松前藩の歴代藩主たちが眠る松前藩主松前家墓所があります。多くの人が想像する「北海道らしい」とは異なる、江戸時代の面影を残した景色が皆様をお待ちしております。

松前藩主松前家墓所。静寂に包まれた空間が広がります

スポット情報

「松前神楽」を知る

300年以上の歴史を持つ松前神楽
国指定重要無形民俗文化財

松前神楽は、300年以上もの歴史をもち、松前城下を中心とする町内の各神社において行われ現在に伝えられています。2018(平成30)年3月8日には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

松前神楽をみるには?

普段なかなか目にすることができない松前神楽ですが、さくらまつり期間中は、松前神楽をはじめとした町内に伝わる郷土芸能が一堂に会する公開イベントが開催されます。桜との共演をぜひお楽しみください。

さくらまつり期間中はお花見と神楽が一度に楽しめる

国内最大級の碑林「北鷗碑林」で書美に触れる

自身の書碑13基とともに並ぶ、金子鷗亭先生の銅像
書家・金子鷗亭

松前町出身の書家である金子鷗亭(かねこおうてい・1906-2001)は、黒澤明監督の映画『蜘蛛巣城』の題字を揮毫するなど、数多くの書を残しました。また、鷗亭はそれまで漢詩・漢文が題材とされ難解なイメージを持たれていた書道の現状に疑問を持ち、近代詩文書(※)を提唱した「近代詩文書の父」としても知られ、戦後の日本書道界をリードしました。

四季と書が調和する北鷗碑林

日本の書道文化に大きな功績を残した金子鷗亭。その功績をたたえ、金子鷗亭とその門人達の書碑あわせて120基が設置されたのが「北鷗碑林(ほくおうひりん)」です。春は桜、秋は紅葉など四季折々の風景が書と見事に調和し、訪れる人々に書の美しさを感じさせてくれます。

近くにはベンチも設置されているので、座って鑑賞するのもおすすめ

スポット情報

往時の姿を再現した「松前藩屋敷」

最北の城下町・松前を再現
江戸時代の松前にタイムスリップ

江戸時代の松前城下を再現した施設。海の関所「沖之口奉行所」や藩士が暮らした「武家屋敷」、ニシン漁の「番屋」など14棟の建物が当時の様子を伝えます。藩屋敷内では甲冑着付け体験や江戸時代の松前の様子をご案内する松前藩屋敷ガイドのほか、昔ながらの松前漬けづくりを体験できるお店があります。

スポット情報

米がとれない最北の藩を繁栄させた、日本遺産「北前船」

江戸時代、当地と大阪を結ぶ西廻り航路を往来した交易船の総称。
往時の松前湊は終着地で、蝦夷産物の出荷地。
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~

 北前船とは、江戸時代から明治時代にかけて大阪を起点に、瀬戸内海から日本海を経て松前を目指して運航した交易船の呼称です。中世の海運大動脈として活躍した北前船は、日本の経済活況に大きな役割を果たし、松前においても蝦夷地の政治・経済・文化の中心地として繁栄をもたらす、まさに「宝船」といえる存在でした。

構成文化財「松前屏風」

 このような経緯から2017(平成29)年、松前町・函館市を含む全国の北前船寄港地である全国7道県11市町が共同で日本遺産認定を申請し、歴史的魅力あふれるストーリー「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落」が認定されました。

明治の松前
明治30年代ころと思われる古写真

関連リンク

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